Vol2.藤原晴子さん (後編)
今回は、英語教室講師/NPOコンサルタントの藤原晴子さん(はるさん)のインタビュー後編です。
>>前編はこちら
後編は、はるさんが考える子育ての卒業、お子さんたちの将来の期待、ご自身の将来についてなどを伺いました。インタビューとしてお話を伺いつつ、わたし自身が共感できる点について、わたしの意見もお伝えしながらお話を伺っています。
◆子育ての卒業は「子どもが自分でおしりをふけるようになった時」
―ちなみにさ、子育ての卒業はいつだってはるさんは思ってる?
晴子:え、子どもがおしりふけるようになった時?
―へぇ、早いね。
晴子:早いかな。ダメかな?
―全然ダメじゃないよ。人それぞれ感じ方があるよね、これは。
晴子:物理的に大人がついてなきゃいけない、四六時中そばにいないといけないかったのが、
おむつが取れたときに「離れた!」と思ったんだよね。「子育て終わった!」って。
―そっか、その頃には出せばひとりで食べれるし。
晴子:うん、食べれるし。うんちはふけないけど、おしっこはひとりでするし、おもらしもしないし。
外に行くのも10分くらいなら歩いてくれるし。
―なるほど~。
晴子:それで、一番最初にアフリカへ行こうって思った時に、「行ける」って思ったのは、
わたし以外の人にお願いしても、基本衣食住だけ満たしておけば、もう誰かがお尻ふかなきゃとか、
何かしてあげなきゃとか、ずっとつきっきりじゃなくて、ちょっとくらい目を離してもなんとかなるし。
―なるほどね。そこがひとつの区切り。
晴子:そこで吹っ切れたよね。いなくなるの(笑)
―普通はといったらあれだけど、成人とかさ、ごはん作らなくても子どもが勝手に食べられるようになった時
とか言う人が多そうと感じていたから、なんか希望の光が見えてきた~。わたしもあともうひと息で…
晴子:そうだよ。あと1年半くらいだよ。誰が見てもあんまり変わらないじゃん。
さすがに下のお世話を他人にずっとさせるのは悪いからさぁ。
―そうだね、おむつ外れるころにはおおむね自分で意思表示もできるようになるしね。
しゃべれないうちは、いつもそばにいる人じゃないとくみ取れないことが多いけどね。
晴子:そうそう。そうなの。そう思うとお尻よ。
―卒業のキーはお尻?
晴子:そう、お尻がちゃんとしたらOK。じゃないの?ちがうの?
―いいと思う。
晴子:って言う風に周りを丸め込んで海外行ったからさ。「大丈夫、もうお尻ちゃんとできるから」って。
―それで海外に行ってる間見てくれるって、協力的だよね?私の夫だったら絶対に
「ひとり海外に行くなんておかしい」って言う。それか「連れていけ」って言うと思う。
夫は飲み会で家を空けるのに、私が海外に行くのがダメなのはなぜなの?って。
そう言うと「お前はすぐにそういうこと言う」って言われるんだけど。
晴子:そういう議論すらしないで航空券を取る、わたしは。
―いいね、いいと思う。
すごいいいなと思うのはさ、自分に子どもがいるから、母親だからという理由で女性だけが何かを制限されるのは
おかしいと思うんだよね。旅行行くのとかも、ね。もし、わたしに子どもいなかったら、
旅行行こうが誰も何も言わないよね。
晴子:そうそう。わがままじゃないとか、贅沢じゃないとかね。
―だから、自分のやりたいことを大事にしてちゃんと実現しているところがさすがだなって。
晴子:やっぱりお母さんが我慢しなきゃいけないっていうのおかしいよね。お母さんだって、
そういう生き方を子どもも見ている気がする。こう言われたとか浮かぶわけじゃないんだけど、
たぶんうちの長女くらいの年だとわかってると思うよ。
―子どもが大きくなってからさ、「子どもがいたから」って思いたくないしね。
晴子:絶対なりたくない。そういう大人には、もう大人なんだけど、なりたくないね。本当にそう思う。
言い訳をしたくないの。そんなの子どもに失礼だよね。自分の親に言われたわけではないけど、
かと言ってうちの親はわたしがいるからってはめをはずしたことがあるわけじゃないんだけど。
たまにいるよね、そういう人。子どもが大きくなるまでは…みたいな人。
―それが心からそうしたいってことでやっているんならいいんだけどさ。
母は、役割であってその人そのものではないもんね。
晴子:あんまりいい例浮かばないんだけど、留学中とかもさいるわけよ。小さい子を母国に残して
留学してるお母さんとか。留学することになって、友だちに彼の叔母を紹介してもらったんだけど、
彼女もお子さんが高校か中学くらいの時にカウンセリングの大学院に行きたいって言って。
急に家族を置いて2年間くらい留学してカウンセラーになって。わたしが会った時は、15年くらい前だけど、
教会のカウンセラーで。なんか、なんて言うの。やりたかったら、みんな抑えがきかないんだよ。
ただそれだけじゃない?それで、子どもがいて我慢したって言う人は、子どもを言い訳にしているかもしれないけど、
本当にやりたいことじゃないんだよ。
―うん、そうかもしれない。
晴子:そこまで情熱がないんだと思う。そういう風にも考えられるかも。

◆子どもへの期待
―子どもにそれぞれに個性もあるだろうけど、こういう風に育ってほしいなって期待や希望はある?
晴子:ある。とにかく、いつ家から出すかは環境によると思うんだけど、少なくとも大学出るとか社会人、成人した時に、自分で自分のごはんとか洗濯とかできない子にしたくない。
自立ってなんなんだろうって思うんだけど。
まず基本的にごはん作る、掃除する、洗濯する、社会生きていくためのいろんな手続き、それができない大人にはしたくなくて。それさえできれば逆にさ、別に大学行かなくても、なんの仕事しようがいいんじゃない?って思うかも。
どんなに勉強させていい学校へ行かせても、すべて親に意見を聞かないと決められない子とか、親がごはんを作ってくれないと家でずっと待っちゃうとか。たまにそういう夫がいるって聞くじゃん。そういう大人にしたくないのね。自活できない大人。
―そうか、そうか。
晴子:長女の年になるとみんな受験の話になるのね。一応英語の先生をしているから、
「藤原さんのところは、お嬢さん塾行かせるんでしょ」って何回言われたことか。
「いえ、行かないですよ」って。
―そうか、4年生だから受験するなら塾へ行き始めるころだよね。
晴子:そう。「お教室なんて開いてるんだから、私立でも行かせるんでしょ」って
雰囲気で聞かれるのね。でも、本人が行かないって言ってるんだから。行きたくないって言うんだもん。
一応聞くよ。「みんな、塾行くんだって」って。
そしたら「へー、行かない。何で行くの?遊んでるほうが楽しいもん」って。そりゃそうだね、って。
だから、「塾に行かないで自分で勉強するって決めたんだよね?家でいっぱい遊んで学校の勉強
いっぱいするって決めたんだから、じゃあちゃんと勉強しなさい」とは言うけど。
基本、自分で決めなさいって言う。それで、決めたことは尊重するかな。
―それは、子どもからしたらすごくありがたいことだよね。「何食べたい?」「習い事何したい?」とかは、
子どもに決めさせるかもしれないけど、こと進路とか親の意向が反映されることも多いと思うんだよね。
未来が不安だからさ。
晴子:「お母さん決めてよ」みたいに親の顔色伺って、親の望むチョイスをする子どもにだけは
したくないかな。子どもがこの仕事やりたいって時に「この仕事のほうがお金がいいよ」とか
「社会的にいいよ」とか言うような親にはなりたくない。
―そういう風に言っちゃってる親も、自分のほうが人生の経験値が高いし、
子どものことを心配するから出ちゃうんだろうけどね。
晴子:うん。だけど、親が「こういう仕事のほうがいいよ」とか「こういう学校がいいよ」とかさ、
「これやりなさい」とか言ってる親がどう生きているかっていうほうがよっぽど子どもに
インパクトあると思うんだよね。
たとえばね、すごい極端だけど。自分が英語なんか大っ嫌いで、英語なんかしゃべりたくない親が
子どもをどれだけペラペラにしゃべれるようにしても、なんかなって思うし。
自分が嫌いなものを子どもにさせてるって、子どもにメリットある?って思っちゃう。
お教室に入るとき「お母様は英語お好きだったんですか?」って聞くの、必ず。
そうすると大体が「わたしは嫌いで、ほんとイヤな思い出しかなくて、それで受験も苦労したし、
子どもにはそんな思いさせたくないんです」って。そのネガティブなエネルギーが怖いって思うから。
―笑
晴子:自分が楽しくないって思ったものを子どもには楽しいと思ってほしいんだったら、
自分も今からでも楽しいと思えるようにすればいいのにって思っちゃう。
自分が好きじゃないものを子どもに食べろって言えないし。勧めようがないじゃん。
「あんたは食べなさい」とはできないから。でも、自分でやるって決めたものはね、やってもらう。
サッカー習ってるのに「きょうは寒いから」みたいのは「自分でやるって決めたじゃん」って。
◆子育て歴10年。やっとおもしろさに気づけた
―毎日3人いたら、オモシロ話題が事欠かないね。
晴子:おもしろいはおもしろいよ。
―当事者はおもしろいってわけじゃないのかな。
晴子:最近やっとおもしろさに気づけてきたよ。前はただただ過ぎていく。
3人まだ保育園へ行っていて、普通に17時までフルタイムで仕事してたからさ。
どれだけ時短をするかってことに躍起になってたわけ。野菜を切って冷凍しておくとか下味だけ
つけておくとかさ、そういう風にして1分、1秒。
帰ってどれだけすぐにご飯出せるかってそんなことばっかり考えて、目の前に起きていることとか気にしない。
だから、どうやってごはん食べさせて、お風呂入れて21時までに全員寝かせるか。もう、それしか考えてなかった。
で、自分の時間を作ろう、作ろう、作ろうと思えば思うほど作れないみたいな。
―あぁ。変化してきているのは成長もあるし、仕事の変化もある?
晴子:うん、たぶんこういう仕事の働き方のほうがわたしには向いているんだなって。
時間でこっからここまで捧げることで対価を得るって働き方がわたしどっかで腑に落ちてなかったのかもしれない。
―なるほど
◆末っ子が小学校へ入ったら、何してもいい
晴子:子ども産む前とかもどんな仕事をしていたときも、会社員だったときはどっかしんどかった気がする。
どこまでやっても足りない気もしていたし。主導権が他人に握られている感じがしていたの。
それが自分では落ち着かないっていうか。常に何かを気にしているような。
でも、一方で思うんだけど、はじまりは末っ子を含め、子どもと自分のバランスがものすごく悪くて、
普通に勤めてやるのはもうダメだと思って、こういう働き方にしたんだけど、あと半年で末っ子が
小学校へ行くわけ。そしたら、何してもいいわけ。
―ははは
晴子:下手したら、仕事しなくたっていいわけ。いままでは、仕事しなくなったら
保育園行けなくなるっていう変なリスクがあって、仕事はしないといけないって思ってて
そこが足かせになっていたんだけど。もうカウントダウンになって。
何してもいいんだって思うと、逆に何したいのかわかんなくなっちゃって。
いまの仕事を50歳、60歳までやっていくイメージは正直なくて。それは始めた時からなくて。
嫌いじゃない、自分でこのタイプの仕事は向いてるのはわかるんだけど、
ずっとやれないなってのもわかってるんだよね。
―それはなんなんだろう。
晴子:なんなんだろうね。もっと自由になりたいのかも。
もう、レッスンの時間すら固定されたくないの。
―あと半年ってところに来て、そう思ってるんだね。仕事、働くはなくてもいいなって感じなの?
晴子:働くことがお金をもらうこととイコールだとしたら、そんなにそこには
執着はしないと思うんだけど、なんかすることがほしいんだと思うんだけど。
―ライフワークみたいなこと?
晴子:ライフワーク、うん…。自分を役立ててると感じられることとか、自分が得意なこととか、
新しい経験とかできるもの。
すごくおいしいごはんを作り続けるとか、家の中をきれいにし続けるとかに自分の興味や情熱が
そんなにないから、自分の関心の持てるところで何かをしたい。それがたぶん、仕事。
それがフラダンスでもいいんだけど。
あと自分が消費者であり続けることが嫌なの。自分が何かを生み出す人でいたい。
ーきょう、話しての感想は?
晴子:何話したっけ(笑) これわたしだけ?なんでこんなに記憶が飛んでいくんだろう?
わたしみたいな自分で決めたいさんは、自分ではどうにも(コントロール)できない体験をして、
自分で決めることのありがたさを知れたんだと思う。自分で好きにやることを全部取られたことによって、
ここだけは譲れないってのがわかってくる気がする。日々確かめている感じ。
これです、っていう言葉はないけれど。ほんと修行、めっちゃ修行。
わたしはめっちゃ必要だったから3人も育ててるんだと思う。
(インタビューを終えて)
インタビューを通して、はるさんの素直さ、純粋さを感じました。
「ガマンできないだけなの」と彼女の口から出てくるその言葉は、自分自身だけではなく、子どもたちにも
「ガマンする必要なんてないのよ」という形で向けられているもの。
また、他の誰かと比較したり、気にしたりすることなく「わたしはこうだから」とある姿も印象的でした。
「母だからこう」ではなく、彼女のなかに母親としての一面が存在してるだけで、とても自然な母としての
形を聞かせてもらいました。
*** ご意見・ご感想をぜひお聞かせください ***
お読みいただいてありがとうございました。
読感じられたことをぜひお聞かせください。
また、こんな内容を聞いてほしい、この方にインタビューしてほしいなどのリクエストも歓迎です。
メニューバーの「お問い合わせ」よりお知らせください。お待ちしております!